2011年11月22日火曜日

高架下建築


変わった写真集です。
線路の下にまで建築するなんて、狭い日本ならではでしょうかね。

私が個人的に好きな高架下は、
  1. 神田近辺のレンガでつくられた倉庫や店
  2. 新橋駅の飲み屋街
  3. 神戸・三宮から元町へかけての商店街
です。

近所にも高架下はありますが、自転車置き場だったり、駐車場だったり、電車の車庫だったりと、いまいちオツじゃない。

住んだことはないけれど、高架下にも家は建つんですね。
飲み屋ならいいかも。

こういう写真集で、ほかにも好きなのは、
私自身は、工場に「萌え」は感じませんけど、「すごいなあこの建造物は!」 って思うことはありますね。

特に、火力発電所 は好きです。 
あと、石油精製所、製鉄工場 も、実際見たら圧倒されますよ。

炎があるところが好きなんでしょうかね。

2011年11月14日月曜日

醜い日本人 日本の沖縄意識


(この本はAmazonでは無いので図書館で借りるか古本を探すしかないようです)

著者の大田昌秀氏は、ご存じ、1990年-98年まで沖縄県知事を務め、2001年から6年間は社民党参議院議員でした。
この本の1-3章が書かれたのは、1969年。 まだ沖縄がアメリカの占領下にあった時代です。 

大田氏は戦争中、学徒隊の鉄血勤皇隊という部隊に召集されて、九死に一生を得た経験があり、特に沖縄戦の悲惨さを身を持って知っている生き証人です。
私たちには想像するしかありませんが、沖縄の地上戦は「史上最も残酷な戦い」で、住民の3分の1近くが犠牲になりました。

住民は、働き手の男たちはほぼ兵士として駆り出され、残った者は頼りにしていた本土からの軍隊から捨てられ、塹壕からは追い出され、自決(自殺)を強いられ。
米軍の占領後は、投降を求める米軍の手助けをするとスパイの容疑をかけられて銃殺、玉砕を潔しとする軍人には生き残るという選択肢は無かったといいます。

そこで戦う兵士たちも、本土から捨てられたと感じていたのでしょうか。
地理的に、どこにも逃げ道が無いという絶望的な状況下、兵士も住民も、死ぬまで戦っていたのです。

戦争が終わり、日本はアメリカの占領下におかれます。
GHQによる改革が進む中、1951年、サンフランシスコ講和条約で、日本は主権を回復します。
翌52年4月28日に講和条約は発効しますが、この日を沖縄では「屈辱の日」としたそうです。
なぜか。

この条約では、日本政府は沖縄を日本の施政下から外すという決断を下したからです。
つまり、「日本の独立のためには沖縄抜きでも仕方が無い」ということでした。
もちろんこれにはアメリカの強い意向があったからでした。
アメリカは、冷戦を本格的に意識し始め、沖縄に引き続き強力な軍事力を維持したかったのです。

アメリカからは、高等弁務官という軍人出身の行政長が任命され、高等弁務官は実質的に沖縄の最高権力者でした。
彼は必要とあらば、沖縄の全ての立法案を拒否し、全ての立法を制定後、45日以内にこれを無効にできました。 またいかなる公務員をも罷免する権限がありました。 
間接的に、アメリカに都合の悪い人物を除去することもできたのです。
高等弁務官はだいたい任期制で、通常、アメリカ本国の意向に沿った政策をしていたそうです。
そこには、強制土地収用、基地の増設、核ミサイルの持ち込み、など負の政策から、公衆衛生、大学の制定、などそれほど負ではない政策まで含まれました。

当時、沖縄は貧困にあえいでいました。 産業らしいものはなく、地上戦で全てが失われたからです。 しかし根底には支配者と被支配者の差別の問題、本土の人間と沖縄の人間の差別の問題があったと著者は指摘します。
アメリカ軍は最初、基地の沖縄人労働者に対し、その日を暮らすのもやっとの賃金しか払いませんでした。 本土から来た土建業者が、米軍基地の仕事を請け負うと、ピンはねします。
基地労働者の不満は、政党を生み、労働争議に発展しますが、これが社会主義的、共産主義的なものになるにつれ、米軍政府の弾圧を受けます。
当時、自由民主主義のリーダーを標榜していたアメリカが、極東の小さな島で、基本的人権をさえ蹂躙していたのです。 これを批判したのは他でもない、アメリカのジャーナリストだったそうです。

さて、田中角栄という人をご存じでしょうか。
彼は、1962年、自民党政調会長だったとき、来日したロバート・ケネディ司法長官(ジョン・F・ケネディ大統領の弟)に対し、沖縄の返還に向けてこう言ったそうです。
「日本の国民は、沖縄の施政権返還を希望しているが、これは憲法問題と安保条約が密接な関連をもっている。米国が施政権を返還するためには、憲法を改正し、再軍備をして日米共同責任の防衛体制ができていなければならない。したがって施政権返還のひとつの方法として、また中ソへの巻き返しの意味からも、米国から(日本政府に)憲法を改正して再軍備をすすめるよう求めてはどうか」

これは何を意味するかというと、当時、日本は高度成長期。 アメリカとの安保条約の下、繁栄をきわめていました。 
そんな中、早く沖縄を日本に返還したいが、今ある米軍基地をそのまま受け入れたのでは、戦争放棄を謳った憲法に触れる恐れがあります。 ましてや当時、沖縄のあちこちに核ミサイルが装備されている状態です。 ベトナム戦争まっただ中のアメリカが、沖縄の基地を手放すはずは無いというのが一般的な意見でした。
そうなると、日本の憲法を改正し、再軍備ができるように、日本を作りかえることで、沖縄返還を実現させようという考えがあって自然かもしれません。
しかし国内から憲法改正を言いだすのは無理なので、アメリカの外圧を利用したいというのが、当時の自民党首脳の考えだったのでしょう。
結局、アメリカ政府はその手には乗りませんでしたが。


今、現在も、私たちは同じような状況にいると言えます。
つまり、沖縄に過大な負担をさせて、その犠牲の上に、本土の安全があるということ。

日米安全保障条約も、日米地位協定も、沖縄に基地があることの前提に引用されますが、このいずれの条約、協定も、「基地は沖縄に置く」とは書かれていません。
沖縄である必要は無い、と沖縄のひとが主張されるのはもっともだと思います。

現実問題、本土で新たに基地を受け入れる自治体は無いでしょう。
沖縄もしかり。
普天間の移転は無能首相のせいで取り返しのつかない大問題になってしまいましたが、これから先、沖縄はいつまで本土防衛の犠牲になり続けるのか、深く考えさせる本でした。

普天間飛行場 上空写真

2011年11月5日土曜日

ワイルド・ソウル


この小説は、お勧めです。
ハードボイルド小説、のジャンルになるんでしょうが、ストーリーの背景は実話に基づいています。

戦後、日本政府は、貧しい農村の人々を対象に、南米の国々への移民政策を進めた時期がありました。 「日本にいるよりも稼げる、広大な土地で成功して家族に恩返ししてみないか」
そういう甘い言葉と、日本政府が奨励しているのだから大丈夫、という気持で、数万人にも及ぶ日本人が、地球の反対側の見知らぬ国へ送られていったのです。

しかし、いざ到着してみると騙されたことに気が付きます。
ジャングルの奥深くへ連れて行かれ、用意されるはずの土地はまだ開墾されてなく、飢餓と風土病が移民たちを襲います。
それでも皆で協力して畑を耕し、作物を作りますが、雨期の嵐で全て流されたりして全滅。
日本政府の役人たちは彼らを助けようとはせず、逆にジャングルの中に棄てることでこの移民政策の失敗を隠そうとします。

と、ここまでは真実です。 
私もこの本を読むまで、そんな恐ろしい事実が存在していたことを知りませんでした。
しかし、何年か前、ドミニカ移民の裁判がニュースになっていたことを思い出しました。
ドミニカ共和国の日本人移民たちの運命はもっと悲惨だったそうです。
奴隷同然のような生活を余儀なくされていたそうです。

さて、ワイルド・ソウルの話に戻ります。

上巻ではこのような、戦後ブラジル移民の苛酷な運命を中心に話が進み、ちょっと思い気持になります。
下巻では、この移民の生き残り、当時子供だった男たちが中心になって、日本で外務省や当時の役人たちに復讐をする物語になります。
テレビ局の女子アナと移民の二世(これがスケベ)の掛け合いが、暗い雰囲気を明るくしています。

復讐というと怖いイメージですが、残酷なシーンは出てきません。
これくらいの復讐なら、あってもいいかな、と(実際やったら即逮捕ですが)思えてくる内容です。

全体的に、この小説は男性向きです。 女性は苦手かもしれません。
でも一度読むと、アマゾンのシーンなどが脳裏に焼き付いて離れなくなるでしょう。
インパクトのある小説です。